HOME → 発掘調査ニュース

発掘調査ニュース

令和4年度 発掘調査ニュース

(写真をクリックすると大きくなります)

福原南遺跡(東広島市西条町寺家)

弥生時代から中世にかけての集落跡

【調査期間】令和4年7月11日 ~ 令和4年9月22日

〔調査の概要〕

福原南遺跡は西条盆地の北西縁辺部の北東から南西に延びる細長い舌状の丘陵尾根にあります。平成30(2018)年度に東広島市教育委員会が本調査区の南側で実施した発掘調査では,弥生時代の竪穴住居などがみつかり,旧石器時代と考えられる石器(剥片)が出土しており,今回の調査でもそれらの時代のものがみつかると期待されました。
 調査の結果,調査区西部から土坑3基(SK1~3),溝状遺構4条(SD1~4),多数のピットを検出しました。ピットの中には根石と推定される石が入ったものや土層断面で柱痕が確認されたものもあり,その多くは柱穴だったようです。建物の規模については現在検討中です。
 東部では大規模な性格不明遺構3基(SX1~3)を検出しました。SX1は長さ約7m,幅約6m,深さ約1mで,地表面を竪穴状に掘り込んで平坦面を作り出しています。埋土には中世の土師質土器等が含まれ,底面付近から花崗岩で作った五輪塔の空風輪が出土しました。
 遺物は,大部分が中世(16世紀代)のもので,土師質土器・陶磁器などの土器類,砥石・五輪塔などの石製品,釘などの鉄製品が出土しました。
 今回の発掘調査では旧石器や弥生時代の遺構はみつかりませんでしたが,東広島市調査区の内容も踏まえると,この遺跡は弥生時代から中世にかけての集落跡であったと考えられます。

  • 調査前全景(北西から)
    調査前全景(北西から)
  • 表土掘削(東から)
    表土掘削(東から)
  • 作業風景(北から)
    作業風景(北から)
  • 遺跡全景(北東から)
    遺跡全景(北東から)
  • ピット群完掘状況(南東から)
    ピット群完掘状況(南東から)
  • ピット内根石
    ピット内根石
  • SD1完掘状況(南東から)
    SD1完掘状況(南東から)
  • SX1・2完掘状況(北から)
    SX1・2完掘状況(北から)
  • SX1五輪塔出土状況(北から)
    SX1五輪塔出土状況(北から)

このページの先頭へ

横田1号遺跡(東広島市西条町寺家)

弥生時代の集落

【調査期間】令和4年10月3日 ~ 令和4年12月(予定)

〔調査の概要〕

 横田1号遺跡は竜王山の南麓,西条盆地の北端部に位置しています。平成22(2010)年に住宅地建設のため行われた発掘調査では,弥生時代後期の建物跡から細形銅剣の茎の一部およびガラス小玉・ガラス管玉が出土しています。今回の調査地点は以前の調査区の南側にあたり,集落の続きがみつかると期待されます。


  • 調査前(東から)
    調査前(東から)
  • 作業風景(南から)
    作業風景(南から)
     
  • 作業風景(西から)
    作業風景(西から)
     

このページの先頭へ

地頭分津ノ尾第1~5号古墳(福山市瀬戸町)

古墳時代中期を中心とした古墳群

【調査期間】令和4年4月11日 ~ 令和4年12月2日

〔調査の概要〕

地頭分津ノ尾第1~5号古墳は,北流する瀬戸川に西面した南北方向に延びる丘陵上,標高60~70m付近に立地する古墳群です。令和元年度に一部範囲の発掘調査を実施しており,今年度はその続きとして,各古墳の未調査だった範囲を調査しました。調査は4月から12月にかけて実施し,次のような成果が得られました。

第1号古墳では,古墳その他の時代がわかる遺構を確認することはできませんでしたが,土器,須恵器等,昔の人々の活動を示す遺物が出土しました。近現代までの地形改変により消滅したものの,本来は遺構が存在した可能性が高いと考えられます。

第2号古墳では,墳丘の北側では令和元年度に確認した区画溝の続きを検出し,墳丘の東側では地山(花崗岩風化土)を削り込んで墳端が造り出されていることを確認しました。古墳の形は円墳であり,平面規模は径13~14m程度と推定することができました。なお,令和元年度には箱式石棺と埋葬された人骨,副葬された鉄剣・鉄鎌が確認されています。

第3号古墳では,古墳の周りをめぐる,溝(周溝)を新たに検出し,周溝(墳端)付近は地山を掘り込んで造られたことを確認しました。また,墳丘断面の土層観察を行った結果,最大50㎝程度の土が盛られていることを確認しました。古墳の形は円墳であり,平面規模は径11m程度となりました。なお,令和元年度には木棺を納めたと考えられる土坑1基が確認されています。

第4号古墳では,令和元年度に確認した周溝の続きを検出し,周溝は地山を掘り込んで造られたことを確認しました。古墳の形は円墳であり,平面規模は径13.5m程度となりました。なお,令和元年度には割竹形木棺を納めた痕跡が確認されています。

ところで,第3・4号古墳は隣り合って築かれていることから,両者の新古関係が注目されましたが,土層観察の結果,第4号古墳の周溝上から第3号古墳の周溝が掘り込まれていることが確認できたため,第3号古墳の方が新しいと考えることができました。

第5号古墳では,令和元年度に検出した周溝の続きと考えられる落込みを検出しました。削平されており正確なことはわかりませんが,古墳はいびつな円形で,平面規模は径9~10m程と推定できました。なお,令和元年度に埋葬施設も調査しましたが,削られており,見つかりませんでした。

今年度,古墳群からの出土品は少量でしたが,土器,須恵器,白磁,鉄製刀子,銅銭,サヌカイトなど様々な種類のものが見つかっています。正確な形がわからない断片資料がほとんどで,いずれも後世に元の位置から動かされていますが,古墳時代以外にも,様々な時代に,この丘陵上で人々が活動していたことがわかります。

古墳群としては,径10m前後の円墳のみから構成される小規模古墳群でした。造営時期は古墳時代前期後半から中期頃(概ね4世紀後半から5世紀頃)におさまるものと推定しています。詳細は,今後の整理作業によって検討していきます。

  • 古墳群全景
    古墳群全景
  • 第1号古墳完掘(北から)
    第1号古墳完掘(北から)
     
  • 第2号古墳完掘(南東から)
    第2号古墳完掘(南東から)
     
  • 第2号古墳北側区画溝(南西から)
    第2号古墳北側区画溝
    (南西から)
  • 第3・4号古墳完掘(北西から)
    第3・4号古墳完掘(北西から)
  • 第3号古墳 墳丘土層断面(西から)
    第3号古墳 墳丘土層断面
    (西から)
  • 作業風景(遺構検出)
    作業風景(遺構検出)
  • 作業風景(測量)
    作業風景(測量)
  • 作業風景(実測)
    作業風景(実測)

このページの先頭へ

二才原遺跡(府中市広谷町)

‟備後国府と同時期の遺跡を調査

【調査期間】令和4年4月11日 ~ 令和4年6月10日

〔調査の概要〕

本遺跡は,府中市東部の標高200ⅿ級の山塊から西へ延びる丘陵の南裾部に立地しています。また,府中市街地遺跡群の範囲内に位置しており,西へ約1㎞の元町(ツジ地区)や約2㎞の府中町(金龍寺東地区,伝吉田寺地区)などには国指定史跡である「備後国府跡」が,遺跡の北東側にある丘陵上には,伊豆迫山遺跡や平佐山遺跡などの弥生時代~古代・近世の集落跡・墳墓の遺跡が存在しています。

発掘調査は,道路を拡張する新山府中線道路改良事業に伴うもので,東西約50ⅿ,南北1~4mの細長い調査区となっています。なお,この道路は石州街道と推定されています。

調査の結果,柱穴と考えられる多くのピットを検出しました。調査区が狭いため明確ではありませんが,桁行3間程度の掘立柱建物跡と考えられます。また,ピットから土師質土器の皿が出土しており,11世紀以降のものと推定されます。そのほかには,溝状遺構や小ピットを検出しました。小ピットは建物跡ではなく,柵列跡であったと思われます。

遺物は,弥生土器,土師器,須恵器,土師質土器,瓦器,陶磁器,瓦片,石鏃などの石製品が出土しました。

今回の発掘調査によって,本遺跡は古代から中世にかけての集落跡であったことが判明しました。緑釉陶器や白磁など備後国府でも出土している遺物から国府との関連が考えられる良好な資料を得ることができました。

  • 調査前近景(東から)
    調査前近景(東から)
  • 調査前近景(北西から)
    調査前近景(北西から)
  • 空中写真(西から)
    空中写真(西から)
  • 調査区全景(南から)
    調査区全景(南から)
  • 柱穴 遺物出土状況(南東から)
    柱穴 遺物出土状況
    (南東から)
  • 作業風景(西から)
    作業風景(西から)

このページの先頭へ