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発掘調査ニュース

令和5年度 発掘調査ニュース

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横田1号遺跡(東広島市西条町寺家)

横田1号遺跡の発掘調査終了

【調査期間】令和5年10月10日 ~ 令和6年2月9日

〔調査の概要〕

横田1号遺跡は、龍王山から派生する南向きの丘陵上に立地しています。昨年度までの調査で、弥生時代を中心とする集落跡であることがわかっていました。今回調査した結果、350基を超える数の遺構を確認しました。遺構の種類は、竪穴建物跡、貯蔵穴、溝、柱穴、ピット、土坑等です。

昨年度の調査区に近い区域では、竪穴建物跡と貯蔵穴をセットで確認しました。竪穴建物跡は、上端が円形(直径約2.8m)、下端が隅丸方形(一辺約2m)と小さめで、深さは約70cmでした。竪穴の住居跡によくみられる、壁沿いに掘られた溝、貼り床等の構造は確認できず、簡単なつくりをしていました。遺構に流れ込んだ土のなかからは、弥生時代前期の土器がまとまって出土しました。隣りにある貯蔵穴は直径約1.1m、深さ約70cmでした。この他、弥生時代と考えられる遺構には、掘立柱建物跡、土坑、ピット、別の貯蔵穴等があります。

竪穴建物跡を確認した区域の西隣の区域では、江戸時代と考えられる溝、柱穴列、掘立柱建物跡等を確認しました。溝からは江戸時代の陶磁器や土器類が多く出土しました。同じ区域で、直径40~45㎝程度の素焼き甕を埋めたものが見つかりました。肥料等を入れた可能性があります。また、調査区の北寄りでは炭、骨、石が入った、長さ約90cm、深さ20cmの土坑を確認しました。
今回確認した遺構は、弥生時代、江戸時代以降の二つの時期に大きく分けることができます。昨年度の調査区では弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての遺構が中心でしたが、今回確認できた遺構群とは中心となる時期に違いがあります。遺跡の評価は、今後の整理作業で詳細に検討していく予定です。



  • 調査前(南から)
    調査前(南から)
  • 作業風景(北から)
    作業風景(北から)
  • 作業風景(北から)
    作業風景(北から)
  • 空中写真(南西から)
    空中写真(南西から)
  • 炭・骨・石を含む土坑(北西から)
    炭・骨・石を含む土坑
    (北西から)
  • 作業風景 土坑の掘り下げ
    作業風景 土坑の掘り下げ

  • 埋められた甕(北東から)
    埋められた甕(北東から)
  • 竪穴建物跡の土層断面(南西から)
    竪穴建物跡の土層断面
    (南西から)
  • 竪穴建物跡の隣りの貯蔵穴(南東から)
    竪穴建物跡の隣りの貯蔵穴
    (南東から)

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沖の城跡(東広島市安芸津町)

沖の城跡(船繋場跡)の発掘調査終了

【調査期間】令和5年6月26日 ~ 12月22日

〔調査の概要〕

沖の城跡は東広島市安芸津町風早に所在し、三津大川の西側で三津湾に向けて南に延びる丘陵の先端、標高21mに位置しています。本城から谷を挟んだ西側の尾根には中世の城館跡である東城が所在し、さらに蛇道川を挟んだ西側にも中世の城館跡の西城が所在しています。また、本城と同じ丘陵上には弥生時代の遺跡とされる蕨迫遺跡や、丘陵の下には近世~近代にかけての塩田跡である水除浜塩田跡があります。沖の城跡は、一般国道185号(安芸津バイパス)改築に伴い、城跡の一部とその北に位置する船繋場と推定される池が工事範囲となったことから発掘調査を行いました。

城跡は調査前の段階から、段状になっていることが確認でき、最上段を主郭・主郭下段、以下を2~5段目として調査を実施しました。調査の結果、主郭・主郭下段を含めたいずれの段も、基盤層の上に近現代の陶磁器片を含む耕作土が15~20㎝程堆積している状況が観察され、山城跡でみられる切岸・堀切・竪堀などの遺構は確認できませんでした。

主郭・主郭下段のほとんどは、削平されていました。残っていた平坦面は戦前から畑として利用されていたようです。耕作土上面と基盤層上面で遺構の確認作業を行いましたが、明確に遺構と断定できる痕跡は1か所のみで、後世の畑作により削平を受けているものと考えられます。

遺構は主郭下段において、基盤層を掘り込んだ直径30㎝の不定形土坑を1基確認しました。土坑内の埋土は1㎝程と浅く、炭化物が多く含まれていましたが、遺物が出土していないため、遺構の時期は不明です。城跡で出土した遺物は近現代の陶磁器類が大半であり、城が機能していたと考えられる時期の遺物は出土していません。

  • 空中写真 北東から
    空中写真 北東から
  • 空中写真(城跡拡大)
    空中写真(城跡拡大)
  • 主郭完掘状況 南から
    主郭完掘状況 南から
  • 土坑土層 南東から
    土坑土層 南東から
  • 土坑土層実測風景
    土坑土層実測風景
  • 城跡と池(船繋場)真上
    城跡と池(船繋場)真上
  • 池西側石垣 西から
    池西側石垣 西から
  • SX1崩落土 北西から
    SX1崩落土 北西から
  • SX1砂層土層 北西から
    SX1砂層土層 北西から
  • SX1砂層掘削作業風景
    SX1砂層掘削作業風景
  • 舟形木製品
    舟形木製品
  • 舟形木製品(上から)
    舟形木製品(上から)

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正藤遺跡(福山市神辺町)

正藤遺跡の発掘調査終了

【調査期間】令和5年4月10日 ~ 8月4日

〔調査の概要〕

正藤遺跡は福山市神辺町大字道上に所在します。芦田川中流部北側に開けた神辺平野の中央やや東寄りに位置し、調査地は北方から延びる丘陵の南麓部にあたります。道路改良事業(拡幅)に伴い、東西に細長い範囲、553㎡が発掘調査対象となりました。

調査の結果、弥生時代後期を中心とした集落跡を確認しました。検出した遺構は計176基、多くは柱穴とピットで、そこに溝状遺構、土坑が加わります。遺構の大部分は同一の面(花崗岩風化土)で検出しましたが、しばしば切り合っていたため、遺構群はすべてが同時期ではなく、多少の時期差をもつと考えられます。

柱穴は、セット関係を現場で認定できたものは少なかったものの、桁行3間以上の掘立柱建物が2棟復元できました。根石を伴う柱穴は検出されませんでした。ピットは杭や棒を立てた跡と推測され、柵や杭列を成した可能性があります。東端部の小穴には木製の杭が遺存しているものがありました。溝状遺構は、幅1m以内の幅狭いものが大半でしたが、調査区中央部付近で幅約2.2m、深さ約40㎝の比較的大型の溝を検出しました。溝の覆土からは弥生時代後期の土器が集中して出土しました。土器は破片が大きく、接合関係を示すものが多く、後世の遺物も混入しないため、時期はある程度まとまっていると推測できます。土器群の出土範囲の一部で炭化物が散布する箇所があり、焚火を伴う飲食後の一括廃棄跡などが想定できます。

原位置を保つ遺物がほとんどなく、遺構の年代を個別に特定することは難しいのですが、全体として、弥生時代後期の土器が出土遺物の中心となるため、遺跡の時期は弥生時代後期が中心と考えられます。少量ですが、古墳時代から奈良時代の須恵器なども出土したため、弥生時代より新しい時期の遺構も含まれている可能性があります。なお、縄文時代以前に確実に遡る遺物は出土していません。

今回発見したのは、弥生時代後期を中心とする集落跡の一部と考えられます。調査区内では、竪穴建物など、人が直接寝泊まりしたであろう遺構はなく、掘立柱を備えた建物と溝状遺構が中心となっています。あくまで狭い範囲の調査による推測ですが、居住域ではなく、倉庫だけが集中するような区域だったのかもしれません。

余談ですが、調査区が周囲よりも低いため、大雨のたびに冠水に悩まされました。ポンプやひしゃくを使って、プールのようになった調査区から水を抜く途中、しばしばカメやオタマジャクシなど水の生き物たちと出会ったことが記憶に残っています。現地説明会では晴天に恵まれ、135名と多くの方に見学していただくことができました。



  • 調査前近景(西から)
    調査前近景(西から)
  • 調査区のようす(東から)
    調査区のようす(東から)
  • 作業風景(東から)
    作業風景(東から)
  • 空中写真(南東から)
    空中写真(南東から)
  • 溝状遺構と柱穴群(西から)
    溝状遺構と柱穴群
    (西から)
  • 柱穴と柱の抜き取り痕の土層断面(南から)
    柱穴と柱の抜き取り痕の
    土層断面(南から)
  • 土器群が出土した溝状遺構(北東から)
    土器群が出土した溝状遺構
    (北東から)
  • 作業風景 小道具で慎重に…
    作業風景 小道具で慎重に…
  • 作業風景 せまい穴はおたまで掘る!
    作業風景
    せまい穴はおたまで掘る!

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中山城跡(福山市草戸町)

芦田川を見下ろす山城

【調査期間】令和5年5月8日 ~ 9月20日

〔調査の概要〕

中山城跡の調査は,福山沼隈線道路改良事業に伴うもので、城跡のある山を東西に貫くトンネル建設工事部分のうち竪堀の可能性がある場所を2021年度に続き調査しました。今回の調査区は東斜面のうち2021年度調査区の西側と北側です。斜面上部にあたる西側は急傾斜であることから作業用足場を5段設置し、足場から手が届く範囲(約1.2m幅)をトレンチ状に細長く地山面まで掘下げました。斜面中央北側は傾斜が比較的緩いことからほぼ全面の調査を実施しました。

今回の調査では近現代の祠など建物の基礎であったと考えられる方形の石組遺構を確認しましたが、城に伴う竪堀等の遺構は確認されませんでした。

遺物の大部分は頂部の郭からの流れ込みと思われますが、土師質土器椀(13世紀後半)、土師質土器すり鉢・鍋(15世紀)、備前焼甕(14世紀前半)、亀山焼甕など、城が機能したと考えられる時期の遺物が出土しています。その他、縄文時代の打製石斧・石鏃などの石器が出土しました。

本城跡の東側を流れる芦田川には草戸千軒町遺跡が所在していますが、出土遺物の年代から、中山城跡と草戸千軒町遺跡はほぼ同時期に機能していたことが明らかになりました。草戸千軒町遺跡の南端に隣接する丘陵上にあることから、関係が深かったものと思われます。本城跡は南東方向の海域を見張る役割があったことが考えられます。

  • 空撮(令和3年度・西から)
    空撮(令和3年度・西から)
  • 調査区のようす(東から)
    調査区のようす(東から)
  • 調査区から芦田川を臨む
    調査区から芦田川を臨む
  • 調査後全景(空中写真、北から)
    調査後全景
    (空中写真、北から)
  • 調査区(部分)完掘状況(北から)
    調査区(部分)
    完掘状況(北から)
  • 調査風景
    調査風景

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高猿第2号古墳(安芸高田市吉田町)

高猿第2号古墳の発掘調査終了

【調査期間】令和5年4月10日 ~ ~6月2日

〔調査の概要〕

高猿第2号古墳は、土砂災害に伴う砂防ダム建設に伴う発掘調査で、調査開始時には石棺(SK1)の蓋石と側石の一部が露出した状態でした。斜面の高い方を削り盛り土として利用し、低い方は削って墳形を整え、地山の石材を利用して貼石としています。SK1は規模から小児用の石棺と考えられ、棺内から刀子片が出土しています。SK1から南西側にSK2、北西側にSK3を新たに確認しました。いずれも箱式石棺で、SK2内から人骨の頭部と大腿骨の一部が出土し、頭位側の蓋石の外側から曲げられた「ヤリガンナ」が出土しています。SK3の蓋石は抜き取られており、棺内に蓋石の破片が残っており高猿城跡の築城時に使用された可能性が考えられます。

古墳が立地する丘陵の高所は、3基の古墳の墳頂を平坦に削平にするとともに裾を円柱状に削って帯廓としています。また、同一丘陵の先端部にも古墳を利用した廓があり、第2号古墳も調査前は平坦で長方形であったことから廓の一部として機能していたと考えられます。

古墳が築造された時期は、石棺の築造方法や「ヤリガンナ」の形態から概ね4世紀前半頃と考えられますが、人骨の鑑定や詳細な築造時期については、これからの課題です。

余談ですが、SK2の蓋石の西端の石材と西から3枚目の石材が接合し、一枚の石であったことがわかりました。とても珍しい例と思われます。

  • 作業風景(北西から)
    作業風景(北西から)
  • 作業風景(北西から)
    作業風景(北西から)
  • 空中写真北から
    空中写真北から
  • 作業風景
    作業風景
  • 貼石検出状況北東から
    貼石検出状況北東から
  • 石棺検出状況(南東から)
    石棺検出状況(南東から)
  • SK2葺石検出状況(北から)
    SK2葺石検出状況(北から)
  • SK2ヤリガンナ出土状況(北から)
    SK2ヤリガンナ出土状況(北から)
  • SK2蓋石接合状況
    SK2蓋石接合状況

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