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むかしライフ研究室

第11回研究テーマ「ごはん」のルーツを探る!

【むかしの「ごはん」】

まず,米の炊き方についてみておきましょう。それには大きく次の方法があります。

1.湯立て法
沸騰(ふっとう)した湯に米を入れて炊きます。

2.蒸し飯法
甑(こしき)を使って炊きます。

3.炊き干し法
一定量の水と米で炊きます。

4.湯取り法.
多量の水で米を煮るなかで出てくる米の煮汁(オネバ)を取り除きながら炊きます。
しかし,日本では炊き干し法ほど普及しませんでした。


  • 道ヶ曽根遺跡(三良坂町)検出の
    竈跡での甑を使った蒸し飯法の再現
  • 稲作の広まった弥生時代,人々は粥(かゆ)状のものを食べていたようです。それは当時の遺跡から甕,小鉢,椀,杯,木匙などの遺物が出土していることからうかがい知ることができます。これは湯立て法によるものです。

    古墳時代になると甑と呼ばれる蒸し器の普及により強飯(コワイイ),今でいう「おこわ」が食べられるようになります。これは蒸し飯法によるものです。



  • 【岡山A地点遺跡(庄原市)】


  • 【岡山A地点遺跡(庄原市)】


  • 【岡山A地点遺跡(庄原市)】

    奈良時代の人々は,粥と強飯の両方を食べていたようです。しかし,これについてはあまりよくわかっていません。なお,粥には汁粥(シルガユ)と固粥(カタガユ)の二種類があります。汁粥は固粥よりも水の量が多く柔らかい粥のことで,要するに現在私たちが「おかゆ」と呼んでいるものです。また,固粥は今の「ごはん」を指し,姫飯(ヒメイイ)とも呼ばれます。この固粥は炊き干し法により作ります。

    平安時代に入ると強飯は,貴族社会では正規の食事となりますが,やがて庶民の間にも普及していきます。器に強飯を高く盛り上げ,箸を立てている様子が当時の絵巻物のなかに見られます。さらに末期になると,姫飯も正規の食事として取り入れられます。

    鎌倉時代には引き続き,強飯と姫飯の両方が食べられていましたが,末期には仏教による影響,とりわけ禅宗の広まりとともに,姫飯と汁粥が一般的となり,それは室町時代に継承されます。

    江戸時代になってようやく姫飯が標準化し,今日私たちが一般的に「ごはん」と呼んでいるものとなりました。なお,汁粥も引き続き食べられますが,強飯つまり「おこわ」の方は,儀式や祭礼などのときにつくられるだけとなりました。

研究室からひとこと

  • かつてはどこの家の台所でも見られた
    米などを炊くための釜と竈(復元)
  • こうして見てみると,現在私たちが食べている米の「ごはん」は,どうやら粥を起源としてできたものであり,それは「炊き干し法」で炊いたものであったようです。

    発掘調査で出土する小鉢や椀などを眺めていると,「古代の人はその器になにを入れ,また,それはどうやって調理したものなのだろう」などといったことまで考えてしまいます。それが考古学の面白さのひとつなのかもしれませんね。

    このテーマの作成にあたっては,中尾佐助著『料理の起源』(NHKブックス)を参考にしました。

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