ひろしまの遺跡 第99号

考古学アラカルト36

弥生・古墳時代の祭祀(まつりごと)
―広島県の遺跡を中心に―
 今回取り上げるテーマは,原始・古代における祭祀(まつりごと)です。
 昔の人々にとって,火災や風水害など自然界の様々な現象や,木や岩あるいは川や動物などの自然物に神々の存在を感じ,それゆえに畏敬の念を感じて様々なまつりごとを行ってきました。
 そこで今回は遺跡の中に見られる祭祀のあり方について,県内の遺跡を中心としてみていきたいと思います。
 まず弥生時代の祭祀の中には,中国大陸や朝鮮半島などからもたらされた水稲農耕に関連したと考えられているものがあります。そのひとつが銅鐸などの青銅製品が挙げられます。これらの祭祀具は本来小型のものであったものが,農耕祭祀とともに大型化したと考えられています。
 広島県内では広島市安芸区福田に所在する木の宗山遺跡出土の銅鐸・銅剣が広く知られています。これらの青銅製品は木の宗山の中腹にある岩の陰から出土しており,祭祀具として使用されなくなった時点で廃棄されたものと考えられています。
 また同様な例として,島根県で発見された荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡などがあげられ,このふたつの遺跡では大量の青銅製品が地中に埋納されていました。
 このほかにも弥生時代中期以降にみられる分銅形土製品と呼ばれる遺物があります。これは集落内で出土する例が多く,その用途については明らかではないものの,その集落の中で行われた何らかの祭祀に伴って使用されていたものと考えられています。
 次に古墳時代における祭祀の状況についてみてみましょう。
 ここではまず集落の中で行われた祭祀についてみてみます。その例として北広島町新庄で確認された岡の段C地点遺跡を取り上げます。この遺跡は丘陵の下の河岸段丘上にあり,弥生時代前期から古代にかけての集落跡や墳墓群が確認されています。
 このうち祭祀に関連する遺構は集落の端の小さな川に向けて傾斜する場所で検出されています。その箇所では,鏡や勾玉などを模した土製品やミニチュア土器などが大量に出土しました。また,その場所には掘り込みなどはみられず,無造作に置かれた状態でこれらの遺物が出土しました。
 このことから,集落の周辺部で近接した川に関連する何らかの祭祀が行われたものと考えられます。遺構の時期は5世紀末から6世紀初頭頃と考えられています。


ミニチュア土器出土状態
 
勾玉を模した土製品
(いずれも北広島町・岡の段C地点遺跡)

 また,庄原市川西町の布掛遺跡では弥生時代中期後半から古墳時代中頃にかけての集落跡を確認していますが,そのうち古墳時代中頃の竪穴住居跡から祭祀を行ったと考えられる痕跡が確認されています。
 この住居跡は方形の住居で,その一角が床面より一段高くなった状態で検出されました。さらにこの高まりからは,小型の丸底壺や直口壺などが供えられたような状態で出土しており,明らかに祭祀が行われたことが判明しました。この住居の中からは鉄釘などの鉄製品が出土したほか,鉄製品を造るためのタタキ石や砥石などが出土しており,鉄器製作に関連した祭祀が住居内で行われていたものと考えられます。
 次に自然物に関連した祭祀と考えられる遺跡についてみることとしましょう。
 東広島市高屋町で調査を行った胡麻2号遺跡の例を取り上げてみます。
 この胡麻2号遺跡では緩やかに傾斜した斜面上に3ヶ所の土器群を検出しました。このうち第1土器群といわれているものの中から多くのミニチュア土器や有孔円板などの石製模造品が出土しており,これらの土器群が祭祀に関わる遺構と考えられています。これらの遺物は5世紀後半代のものと考えられています。
 また,小規模な谷を挟んだ反対側の斜面では自然石の露頭があり,この中で検出した溝状遺構のなかで5世紀後半代の高杯形土器や椀形土器などが出土し,3群の土器群と何らかの関連が考えられています。
 これらの祭祀遺構については谷部にかなり以前から道が存在していたものとみられることから,この道による地境に関係した祭祀の可能性が考えられています。
 次にやはり東広島市の西条町に所在した助平3号遺跡の例をみることにしましょう。
 助平3号遺跡は谷部に面した緩やかな斜面上にあり,古墳時代の中頃から後半にかけての集落跡を検出しています。
 祭祀に関連する遺物が出土する箇所は集落内ではなく,谷部を流れる自然流路内からです。この自然流路からは土師器や製塩土器に混入してミニチュア土器や勾玉を模した土製品,有孔円板などの石製品が出土しています。これらの祭祀遺物は当時も流れていたと思われる自然流路を対象とした祭祀に関連したものと考えられています。
 以上のように今回は弥生時代と古墳時代の祭祀に関連した遺跡についてみてきました。これらの祭祀遺構は当時の人々が様々な事柄に関連して「まつりごと」を行っていたことを証明してくれるものですが,このような「まつりごと」はこれ以降も現代にいたるまで人々の様々な生活の場面で形を変えながら引き継がれてきたものです。


自然流路から出土した祭祀遺物
(東広島市・助平3号遺跡)
(鍜治益生)
参考文献
広島県史「考古編」
中国横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(IV)<岡の段C地点遺跡>
地域高規格道路江府三次道路(一般国道183号)道路改良事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書(2)<布掛遺跡>
東広島ニュータウン遺跡群I<胡麻2号遺跡>
西条第一土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財調査報告(II)<助平3号遺跡>