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発掘調査ニュース

平成29年度 発掘調査ニュース

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鞆港湾(ともこうわん)施設跡(雁木(がんぎ)) (福山市鞆町鞆)

【調査期間】平成29年5月15日 ~ 平成30年3月下旬

「鞆の浦」の雁木を調査する!

〔鞆港湾施設後〕

 瀬戸内海の中央に位置する港町・鞆には江戸時代以降整備された「波止(はと)」や「雁木(がんぎ)」,「常夜灯(じょうやとう)」「焚場(たでば)」などの港の施設がよく残されています。このうち雁木は、江戸後期の文化8(1811)年に整備されたといわれる大雁木のほか,北雁木・東雁木などに分かれ、港町鞆の風情を伝えています。
 発掘調査を実施中の北雁木は,江戸時代の絵図や現地に立っていた石柱の銘文から,幕末から明治初年頃に築造されたと推測されます。発掘調査では,北雁木の表面を覆っていたコンクリートや雁木石材を,記録を取りながら除去し,工事の影響が及ぶ範囲の発掘と記録を行って雁木のつくられた時期や構造・修理の履歴などを調べています。
 雁木の下で確認された石垣について調査を進めたところ,長さ約20m以上にわたることが確認されました。この石垣の上には雁木の石材が直接設置されていることから,雁木を支える機能をもっていたと思われます。また,石垣の石材には,石材を割るときに付けられた矢穴(やあな)や「△」や「井」などの刻印(こくいん)が確認されました。この特徴は,雁木の北側丘陵にある鞆城跡の石垣のものと共通していることから,石材を再利用していることがわかりました。また,雁木の石材が取り除かれてコンクリートに置き換えられたり,石材の裏込めにコンクリ一トなどが使われるなど,さまざまな補修の痕跡が確認されました。
 これらのことから,北雁木は築造以降,複数回にわたる修復を繰り返して現在に至っていると考えられます。

  • 鞆の大雁木と常夜灯(北から)
    鞆の大雁木と常夜灯(北から)
  • 鞆港全景(北から)
    鞆港全景(北から)
  • 調査予定地・北雁木(南東から)
    調査予定地・北雁木(南東から)
  • 雁木が載っていたベッドの調査査
    雁木が載っていたベッドの調査
  • 雁木下部の石垣の前面の調査
    雁木下部の石垣の前面の調査
  • 雁木取り外し後の様子
    雁木取り外し後の様子
  • 雁木石材の記録作業
    雁木石材の記録作業
  • 拓本採取作業の様子
    拓本採取作業の様子
  • 矢穴と刻印
    矢穴と刻印

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夕倉(ゆうくら)遺跡第2次調査 (福山市津之郷町夕倉)

【調査期間】平成29年11月6日 ~ 平成29年12月下旬

中世の溝や建物跡を発見!

〔調査の概要〕

 遺跡は福山市街地から芦田川を隔てて西側に位置する津之郷町の丘陵斜面と水田地帯に立地し,昨年度行った第1次調査では弥生・古墳時代~中・近世にかけての遺構・遺物がみつかっています。
 今年度行った第2次調査では,独立丘陵の西側斜面を対象に調査を行い,中世のものと考えられる掘立柱建物跡1棟,溝状遺構2条のほか,多数の柱穴がみつかりました。掘立柱建物跡の柱穴は直径10cmほどの小さいもので,簡易な建物であったと推測されます。また,溝からは亀山焼や備前焼など,鎌倉~室町時代の遺物が出土しています。夕倉遺跡は中世の村の西端部にあたり,遺跡の南東に広がる独立丘陵上に集落の中心があると考えられます。

  • 夕倉遺跡第2次調査地点の丘陵(北西から)
    夕倉遺跡第2次調査地点の丘陵(北西から)
  • 夕倉遺跡第1次調査地点の空中写真(南西から)
    夕倉遺跡第1次調査地点の空中写真(南西から)
  • 夕倉遺跡第1次調査の報告会
    夕倉遺跡第1次調査の報告会
      

  • 遺跡遠景
    遺跡遠景
  • 掘立柱建物跡
    掘立柱建物跡
  • 溝状遺構
    溝状遺構

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亀居城(かめいじょうあと)跡 妙見丸第2次調査(大竹市小方一丁目)

【調査期間】平成29年5月22日 ~ 7月20日

破城の痕跡を確認!

〔調査の概要〕

 亀居城跡は慶長8(1603)年から5年をかけて築城されましたが,築城から3年後の慶長16(1611)年には破棄されています。
 調査区は亀居城跡の北東にある郭(妙見丸)の北東端に位置しています。調査で見つかった石垣は,郭(妙見丸)の北東隅(標高28m)から3mほど下方の斜面に存在する小平坦面に築かれ,北辺石垣,西辺石垣,西辺石垣の南西端から北西方向に短く延びる南西石垣の3面が残っていました。石垣の規模は,現状で北辺石垣が長さ6.68m,高さ1.7m,石積3段,西辺石垣が長さ5.02m,高さ2.38m,石積5~6段,南西石垣が長さ2.14m,高さ1.08m,石積2段ほど残っていました。
 北辺石垣の目地が横方向に綺麗に通っているのに対して,西辺石垣(とくに南西側)・南西石垣は目地の乱れが大きく,石材の積み方も雑でしたが,長さ70~185㎝,幅21~85㎝,高さ28~69㎝の長方体の石材を主として小口積みにしています。また,北辺石垣と西辺石垣の北隅部は最大規模の石材を整美な算木積みに積み上げていました。
 石材の背後は10~50㎝大の小角礫を大量に詰めて裏込めとし,上下の石材間には高さの調節や石材の固定するため厚さ2~3cm,10~20㎝大の板状の石片を多く詰めていました。石材間の詰めは小礫や石片と砂を主体にし,石垣壁面の石材間には間石として10~20㎝大の小礫を多く詰めているのも,本石垣の特徴といえます。
 石垣前面には多くの石材が,裏込めに用いられた多量の小角礫とともに転落した状態でみつかりました。これらは人為的なもので,廃城時の破城行為に伴うものと考えられます。
 今回の調査は,江戸期の絵図に描かれている石垣が後世の積み直しなどの改変を伴わない,築城時の姿に近い状態で明らかにできたことは,近世城郭研究にとって貴重な資料の提供となったといえます。

  • 調査区遠景(○は調査区)
    調査区遠景(○は調査区)
  • 裏込めと石垣前面の砂礫
    裏込めと石垣前面の砂礫
  • 裏込めの様子
    裏込めの様子
     
  • 北辺石垣
    北辺石垣
  • 西辺石垣
    西辺石垣
  • 西辺石垣北隅
    西辺石垣北隅
  • 南西辺石垣
    南西辺石垣
  • 北東隅部の石積み
    北東隅部の石積み

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